わたしが、伊藤靖浩ライブを開催する理由。
わたしは、なぜ伊藤靖浩ライブに皆さまをお誘いするのか?
(演出家 石丸さち子)
自分の明日なんてわからないもので、わたしが、今年の12月、ライブのプロデュースをすることになるなんて、つい最近まで想像したことがなかった。
でも、偶然の出会い、予期せぬクリエーションの一瞬一瞬が、突然、「必然」を連れてくる。
「当然、やるでしょ?」って顔して。
わたしと伊藤靖浩さんとの出会いは、7月の演出作品「ペール・ギュント」。
でも、その時、仕事をオファーする前からわたしは彼を知っていた。
わたしが敬愛する作家・演出家 谷賢一氏の公演、「エリクシールの味わい」を見て、
劇中、自作曲を弾き歌う青年の虜になったのだ。
「飲尿」を高らかに歌い上げる抜けのよい歌声と、音楽を楽しむ様。飄々とした佇まい。
わたしはその曲のサビと彼の声をずっと覚えていた。耳が忘れなかった。
7月の企画段階で、ピカーン!と脳内電球が光って、
「音楽はあの人に頼もう!」とオファーした。
オファー段階では、5曲〜6曲の作曲だった。
グリーグの向こうを張っての作曲を頼まれたのだから、プレッシャーだったと思う。
最初のプレゼンの日。
「ペール・ギュント」という芝居を決めるラストの曲、
「ソールヴェイの子守歌」を聞かせてもらった時、それはもう、いろんな運命が変わった瞬間。
彼が「こんな曲です」と、最初に自分で弾き歌い終えた時、わたしは涙をこらえるのに必死だった。……だってね、演出家がセンチメンタリズムだけで仕事していると思われたくないですから。
いつだって仕事中は熱さと冷静さを併せ持ちたいですから。
でも、その時は無理で。涙、こらえがたく。
あまりにも、美しく、優しかった。その歌は。
3分15秒の時間が、忘れがたいものとなった。
運命を変えるのは、1曲で十分だった。
「ペール・ギュント」という長大な戯曲を、リーディングでいかに演出するかという問いにぶつかっていたわたしは、急遽、40以上ある戯曲のト書きを、歌詞に書き換えた。
そして、最初のオファー曲を書き終えてカンパケかと思っていた彼に、突然の追加オファー。
目を丸くしつつも、その夜から彼はとんでもないスピードでメロディーメーカーの才能をフル発動してくれた。
戯曲の世界観や言葉に対する、理解の深さ、演出家からの言葉の浸透力の良さ、回転の速さ。
その辺りの、現場的能力は、蜷川カンパニーでたくさんの並みいる音楽家たちと仕事してきたわたしでさえ、「特筆すべき才能!」と驚くほどだった。これは、その製作現場に立ち会った俳優たちも、揃って同じ感想を口にしてたっけ。
あまりにも数が多すぎて、半分は、深夜の稽古場で作ってもらって、その製作に立ち会った。
作曲家はプレッシャーで大変だっただろうが、演出家のわたし、彼の音楽の虜になっていたわたしにとっては、幸福な時間であった。これはもう、この文章の流れからして言うまでもない。
さらに。
それらのト書きソングを、彼はすべて稽古から本番まで弾き語りしてくれた。
俳優の情感を先行する抒情を、彼の歌は持っていた。
「ペール・ギュント」が終演した時、わたしは彼の歌声を、ブログにこんな風に書いている。
そして、あの歌声。
日だまりのような。
清冽な水のような。
(いや、初恋の味カルピスのような。)
初夏の風のような。
あるときは思いっきり男の匂い漂わせドライブして、
あるときは、得も言われぬ優しさで辺りの空気を包み込み……。
たまらなく好きだ。
絶賛ですね。
これをきっかけに、彼に、つい先日の、わたしの音楽と演劇のコラボレーション作品、
IN-Project Vol.2「Breath & Beat 呼吸と鼓動の120分」の作曲を依頼。
わたしの非常に個人的な、距離感の難しい物語を、
わたしの語りを聞いた上で、
クールにひいた耳と、ぐぐっと愛情もって寄った耳で、バランスよく、音楽にしてくれた。
そして、伴奏者として、伴走者として、本当に繊細に存在してくれた。
IN-Project終演後、つい先日、
彼との共同作業のことを、わたしはブログに、こんな風に書いている。
===
彼には、音楽家として、たくさんの顔がある。
ヴォーカリスト、ヴォイストレーナー、歌唱指導、音楽監督、作曲家、作詞家、マリンバ奏者、その他打楽器奏者、ピアニスト、伴奏者……。順不同。とにかく、たくさん。
わたしの音楽的盟友、大先輩の池上知嘉子氏は、先日こんな風に指摘してくれた。
『伊藤君の、肩書きや方向性に囚われずに音楽を愛する、その「自由」さが、石丸さんを動かしているんだよ。』と。
自由に、翼を広げて彼から生まれてくる音楽を楽しみに待っているのは、わたしだけではない。
彼の音楽のファンは、たくさんいる。でも、もっと増やしたい。知らせたい。
だって、よいのだもの!
今回は、彼の歌声をお届けすることになった。
これは、プロデューサーとしてのわたしの「必然」となった、新しい運命だ。
少しでも幸せな時間にするための準備をして、わたしはお客様と一緒に開演を待つだろう。
こんなに絶賛して、かえって、プレッシャーだろうか?
いや、音楽は彼を裏切らない。
彼はきっと自由に楽しんでくれるだろう。
その時を一緒に過ごしてくださる方が、一人でも増えますようにと願って、わたしはこの文章を書いている。
12月16日。
是非、blackAにお越しください。